オビドラマと私的オビ語り
ディズニープラスで配信されたオビ=ワンのドラマ。
正直に言うとどうにも納得できない部分があった。
ユアンのオビ=ワンは無条件に肯定してしまう私だが、この作品の脚本と演出には個人的にツッコミどころがありすぎて、初見ではユアンオビの魅力に専念できなかったくらいだ。なんてこった。
ごく個人的な感想として、まずエピソード3のオビ=ワンとドラマのオビ=ワンが繋がらない。
というのも私はエピソード3のノベライズが大好きで、特にムスタファーでアナキンと対決した前後のオビ=ワンの描写がいまだにくっきりと心に刻まれているからだ。
オビ=ワンはまだ彼を愛していた。
ヨーダはいつもはっきりとこう言っていた。”そういう執着は放さねばならんぞ、ジェダイはな"
だが、オビ=ワンはこの言葉の意味を、これまでほんとうに理解していたとは言えなかった。彼はアナキンと議論し、言い訳し、何度も繰り返しアナキンをかばった。そのあいだも、ずっと自分では否定してきたこの執着が彼の目をふさぎ、親友が歩いている邪悪な道を見ることができなかったのだ。
こういう執着に対処する方法はひとつしかない。
彼はそれを放した。
最後は、選択肢はひとつしかなかった。何年もまえに、すでに選択していたのだ。ジェダイ・ナイトのトライアルに合格したときに。彼は永遠にジェダイでありつづけると自分に誓った。彼はまだオビ=ワン・ケノービ、まだジェダイだった。無力な男を殺すことは、彼にはできない。
アナキンはフォースの意志にゆだねるとしよう。
オビ=ワンはきびすを返し、歩み去った。
私にとってオビ=ワンとは、これなのである。
彼はどれだけ喪失の痛みを抱えようとも、手放すことのできるジェダイなのだ。
それは冷たいとか愛が分からないとかそういうことではなく、失う痛みを受け入れられるということだと私は思う。
(でも放された相手のほうは失った痛みに耐えられない。その悲劇よ)
オビ=ワンはもともと短気で理性より感情が迸るタイプで、自分の性情がジェダイ向きでないことをよく自覚していたものと思う。
だからこそ痛みに痛みを重ね、努力で理想のジェダイへの道を歩んできた。
最愛のアナキンに対してさえ、ジェダイとしての在り方を選び自分の執着を手放した。
なのにオビドラマ1話ではジェダイであることを手放してルークへの執着がっつりなオビですよ!
アナキンの喪失に対する痛みは、40年近くも心に傷を負い続けながら体得してきたジェダイの在り方さえ失わせるほどのものでしたか?
ルークに対する執着は、手放したはずのアナキンへの執着がシフトした結果ですか?
腐としてはおいしい話だが、オビ偏愛者としては納得がいかぬ。
後悔も痛みも愛ですらオビ=ワンからジェダイの自覚を剥ぎ取ることはできない。その透徹した姿勢こそが、アナキンに失望を与えてきたのではなかったか。
気の遠くなるほどスピンオフが出ていて熱狂的なファンの多いオビ=ワン・ケノービに対し、掘り下げが足りないのじゃないかと申し上げたい。
私もまだドラマをちゃんと咀嚼できていないので、反論は受けつけますけども。
他にはサード・シスターのデザインが、役の重要度のわりにおざなりすぎると感じた。
仮にもSWでノーメイクなデザインはどうなのか。同僚の男性陣のほうがよほど凝っている。
あれだけ複雑なキャラクターを表現するなら、アサージと比肩するくらいのデザインが欲しかった。
最後にルークを襲ったのも、説明不足で混乱する。
さすがにアナキンの子供だと気づいたはずはない。というよりアナキンに子供がいること自体知りようがないだろう。
絶望からオビ=ワンの大切なものを壊そうと思った?
もう少しその辺も掘り下げていたら、もっと魅力的なキャラになっただろうと思うと残念というか、作品全体にちらほらとやっつけ感やテンプレがあるので大人の事情が色々とあったのかもしれない。
ダメ出しばかりしているが、レイアの存在だけでお釣りが出るくらい可愛かった。
英語の、ちょい舌足らずなのに口達者なところがとてもいい。
あのレイアはオビ=ワンを導く水先案内人としての役割が強いので、オビ=ワンが道を見失っていたからこそのキャラクターだろうけど。
ベイル・オーガナ氏も相変わらず素敵。
ダース・ヴェイダーの描写も良かった。
アナキンもヴェイダーも、感情や行動原理が馴染みやすいから表現が盛り上がるのかもしれぬ。そもそも存在が派手。有無を言わせぬ吸引力。
彼とオビ=ワンの関係ついては雑感とは別にまとめてみたい。
と、ここまでグチ多めに語ってきたわけだが、このドラマが公式となってしまった以上はファンとして無かったことには出来ぬ。
ユアンオビが出てきた時点でどうやっても嫌いにはなれないし、好きな場面も多々ある。レイアも可愛いし。
この上は失われた10年とオビドラマを補完するストーリーを自分でつくって楽しむことにしたい。